松井さんのブログ(かり)

なんか意味なしゲーム作成ブログになってる

人手不足の原因

個人的に人手不足ではないと思っているんですが。

世間一般で言われている人手不足の原因の一つと思われる事象が身近で起きたので。

新人が(でなくとも入社してすぐに)会社をやめるから、人手が確保できない

あるいは、新人にやめられてしまう会社が多いから。

 

簡単にいうとそうなんですが、

その原因は、特に多いのが

「仕事が自分にあわない。」

ということだったりするらしいです。

本当にそうなんだろうか?

個人的に深読みしすぎる人間?なので、勘ぐってしまうのですが、

(あることが原因で)仕事を辞めたいのだけれど、その理由付けとして、

このしごとは自分に向いていない、という風に建前としている。ように思います。

例えば、いやな人間がいるから、とかなどは、

直接言えない人にとっては、すり替えやすい(みえになる)理由ですしね。

そして、若気の至りにとがっているだけなのに、

僕は直接言わないと気が済まないので、

というような人間は、ようするにそれが見栄だし。

直で言えれば、やめる理由にならないでしょう。

一番の理由は、人間関係でしょうね。

 

労働環境が悪いという理由もあるみたいですが、

これも、残業が続いていて、精神的に追い詰められていたところに、

ある人の一言がきっかけで、やめた。

という感じだったりするのでは?と思う。

個人的には給料の安い日本の会社で、

残業は残業が出るのであれば、

結構歓迎することだし、

自分の場合は、(最初の)会社を辞めた理由は、

完全に給料だったので。

そして、自分は、結構無鉄砲で、言いたいこと言っていたので、

給料以外、まったく悪いことは思っていませんでした。

5年以上続いたので、まぁ先の例には当てはまらないですし、

人手不足の理由の上位でもないでしょう。

 

なので、人間関係がまったくトラブルないような会社は、

人手不足にはならないのではと思います。

というか教育にて一番重要なことなんじゃないでしょうかね?

自分は昔の人間なので、

自分が教える立場になった場合には、

後輩をよく食事にいったり、とか競馬にいったりとか、

人間なので、仕事以外のことといえば、

遊びとか。とか思ったりしたので。

仕事も教えるけれども。

 

とはいえ、今現在は、パワハラとか言われてしまうんでしょうね。

ハラスメントは、難しいですね。

正直、自分はハラスメントについては、こうだ!

というのはないと思ってます。

その場の環境やその時の人間関係によって、

どうとでもいえてしまう理不尽なのではないかと思います。

正直、ハラスメントしてた、とも思うけど、暴力が苦手なので、

率先して行う、ということはないけれど、あとで考え直すと、これってハラスメントかな?とか。

 

まぉまたいろいろわからないことを書きましたが、

人手不足という嘘はどうでもいいので、

きちんと物事、会社というものが経営者の私物ということではなく、

人という欠陥品がうまく社会を発展させるための、

効率的な組織だと思うと、

会社って、重要な資産だと思うんだけど。

家族だって協力すれば、生きやすい社会において、

知らない人間同士でも、生きやすい社会にできる組織と思って。

 

入社して間もなく、ブラック企業とか思われるのって、

どんだけ~。

 

と思いますね。

 

細かいことだと。

怒りっぽい人が多いのも、

きちんと怒れることがステータスみたいな勘違いもありそうだし。

例えば、時短とかタイパが結果としてすぐに起こる人を量産してたり?

自分も結構あてはまるんだけど、

直接ものが言える、とかいってると、それが誇らしいことのように思って、

奢る。とか。

気が付いて恥ずかしくなって、今度は何も言えなくなる。

人間てしょうもねーな。

 

見せしめ、つるし上げ、まるでいけにえ。

 

システムの改善ができないシステム

ところで、某メルカリでPC部品を販売して、

郵便局でカスハラみたいになってしまった?のですが。

なりゆきとしては、

購入者より、発送方法を某郵便局からのものに変更できないか問い合わせがあった。

メルカリの画面で発送方法を変更した、

郵便局で、局員にメルカリ箱を問い合わせて、

薄い箱(これしかないといわれて)を購入する旨指示されたので、購入。

2次元バーコードを読み込むらしいが、発行しか画面には出ていないので、

発行を押した。(画面と箱で食い違うが、よくわからない。)

郵便局のプリンタから送り状がでたので、薄い箱にて貼り付けて窓口に行ったら、

これじゃないといわれた。(意味不明と思った。)

箱を買いなおして、(これしかないが不明)発送した。

結果、想定の送料と差額が、郵便局が得をして、自分が損をしたわけだが。

郵便局員がよくやった!というべきなのか、

システムがおかしいだろ!というべきなのか、

自分がお人よし!ということなのか?(いやブログに後悔してる時点で、不満たらたらだ。)

 

普通にシステム(画面)において、

発送方法の変更の機能を

読み取り後、窓口で提出(受付)までも可能、

あるいは窓口で変更できるように改善してくれるだけでいいと思うのですが。

メルカリのトラブルは、あくまで出品者と購入者に限定されているようで、

それ以外のトラブルはカスハラと判断されて、アカウント停止するしか選択肢がないみたいだ。

などと考えたが、普通に利用をやめるのが最善かな。

 

局員さんが普通によくわかって荷物に適した方法を提示してくれればよかったのに、箱の販売後にそれはこれ専用としか融通がきかないのも微妙かな、サービスとして。

専用とか、らくらく?とか効率をよくしようとした結果がこれか?と思ってしまう。

書類を電子化したのに、手書きも残すとか、2度手間インシデントの類なのか、よくよくテストされてないのか。

電話対応はしませんというのは、コスト削減としてと銘打てば、セキュリティ対策として、サービス不全から論点をズラセル、というふうにしか利用する側からすると、とれないというか。

 

普通?にサービスがよくわかってないので、手順を聴きながらやろうとすると、もう詰んでる。

というサービスは、要はシステムに精通したエリートしか利用できない差別システムに成り下がり、利用者が減っていくと思うんだよね。

提案ですが、要は利用者を詰んだ状態に放置するリスクを考えてほしいかな?

難しいですね。

いや一番重要なのはトイレだ

問題は、トイレだトイレ。

トラックの止められないコンビニなんて用はない。

うんこさせーろ。

なんで公衆便所を立ち入り禁止にするんだよ!

荷待ち駐車は禁止とかただのいじめだよ。

うんこさせーろ。

人手不足とか嘘はいらない。給料を上げてくれ。

2024年問題なんかの前に。

うんこさせーろ。

要はインフラが時代にあってないだけじゃねーか。

うんこさせーろ。

 

でもね。

日本人の仕事の問題点というか、

バカなんじゃないの?

と思う、もうハラスメントの領域だよ、って事項は。

「1回で覚えろ」

ということかな?

あぁバカな職場だな、

と感じるし、実際にバカだ。

いや一回で覚えられないのが馬鹿やろ?

とか言うかもしれないけれど。

バカな職場ほど、

「1回で覚えろ」

というひどい教育がなされている。

違う。仕事は、何度でもトライして、覚えていくもの。

 

指示したこと以外やるな。

といいつつ、言わないうそをついて、相手を問い詰める。

これもハラスメントだな。

 

日本で会社員を続けるということは、

こういうハラスメントを解決するのではなく、受け入れるということだ。

自殺者は減らないし、

人手不足もなくならない。

 

主に日本の配送の難点(仮)

新番、旧番がある。 

一つの番地で複数の建物を表現することがある。 

てゆーか、1ブロック同じ住所とかw 

順番になっている場合となっていない場合がある。 

せまい。まがっている。 

同性、同名がある。 

奥様の名前では判断つかない場合がある。 

シャドウ様がいる。 

絶対受け取らないぞと主張するポストがある。 

学問の最高峰?(大学)にポストがなかったり。 

ポストが建物の中にあったり、鍵がかかっていたり。 

不在だったり、盗まれたり。 

車両通行止めったり。 

駐車とめったり。 

トイレ行きたくなって、コンビニはいって順番待ちだったり。 

やっと行き着いた公衆トイレが〇〇まみれ。 

 

ところで、わかりにくい、不思議な現象なんだけど、 

「道」で、対向車と、歩行者と自分がすれ違うタイミングって、 

同じ場所になるのって、なんて奇跡? 

 

 

ペペロンチーノの作り方。

僕のかみさんは、料理がド下手です。

しかし、地道な努力のできる人なので、結果おいしい家庭料理ができるようになりました。

すごいことだと思います。

さて、ペペロンチーノですが、

基本的な作り方は、いろんな動画がありますので、それを参考にしていただいて。

料理がうまくなる可能性が高い?作り方を目指そうと思います。

ニンニクの香りをオリーブオイルに移す。

とか

唐辛子の辛み成分が油に溶ける。

とか

パスタのゆで汁の塩分で味が出る。

とか

乳化させる。

とか。

知識としては、あらかじめ勉強できますが、

結局、回数を重ね、失敗を重ね、試行錯誤して、

おいしいペペロンチーノが出来上がります。

まぁ頭のいい人や、料理のセンスがある人は、すぐに理解して作れるのかもしれませんが。

さてさて。

旦那様であるあなた様においては、

休みの日にしかできねーよ。

ということもあると思いますが。

というか、奥様が主婦で、旦那様が働きに出ている一般的な家庭においては、

必然と休日にしか実行できない。

つまりは、旦那様が作るにしても、お昼か夜じゃね?

となると思います。

 

さてここで、少し工夫してみます。

少々、あるいは結構めんどくさいかもしれませんが、

一人分を、2回作る、という形にしてみましょう。

2回も面倒ではありますが、

普通の倍の経験がつめます。

経験というのは身についた知識です。

そして、1日3食ではありますが、1食を量を減らす。

または、2人で1食を分ける。

そんな感じにすると、さらに回数を増やせます。

という形に持っていけると、

料理は上達しそうな気がしませんか?

 

料理の勉強をするには、ペペロンチーノって便利な料理な気がするんですよね。

ともかく材料が少なくていい!

独身の時代は、カレーやチャーハンと並んで作っていた料理ですね。

まずいペペロンチーノもたくさん作りましたけれど。

最近は、概ね家族には好評だす。

ニンニクと唐辛子とスパゲッティ。

オリーブオイルはちょっと高いというのであれば、

サラダ油などでも香りがだいぶ変わりますが、

まずまずのものが作れます。(・・・というか、とあるコンビニ?のペペロンチーノは、絶対にオリーブオイルじゃないと思う。)

 

夫婦で協力して作るのもいいんじゃないですか?

上記のように回数を増やして、交互に作るとか。

親睦を深めるのに役立つのかな?と。

 

復讐の話、正義と悪について、あおるという行為に思ったこと。

前の記事では、前提として人間が協力的な社会を築いているというものがほとんど絶対条件というようになっていると思ったり。

一人の人間が自然の中で生き残っていくのに、要は完全自給を実現するわけだけれど。

2人の人間でも自然に中で生き残っていくのに、2人で完全自給する。

人間が失敗するものとして、余剰を考えて食料が備蓄できるように生産し、豊かな自給生活になっていく。

しかして、別の人間のなかに他人から奪えば楽じゃね?という獣的な考えを正当化するものが現れる、戦争が発生して、豊かさが失われる。

戦争は単純な思考で行くと、やはり損失だ。

また、一度戦争がはじまると、仕掛けられた方が恨み、復讐する。許さない限り。

 

平和の敵としなければならない。

 

当然の理屈だ。

人間の感情はそんな簡単なものじゃない、という理屈。

さて効率化がなされると、なのか、時間が早くなれば?なのか分からないけれど、コスパ、いまではタイパなんて言葉も出てきた。そしてパフォーマンスの悪さが、悪であるという思いが生まれる、豊かになったはずのひずみにたいする比較の悪だ。

あるいは、知識を持たない者に対する侮蔑、差別。

よく「礼儀を知れ!」というものは、躾に使われている一方で、ほぼ完全な差別である。というかパワハラのほうが正解か?

知識という豊かさの陰で見落としがちだが、知らないものに対する差別として発せられる感情はやはり正義ではなくて、悪徳だと思う。

実際に行うのはとても難しい。

僕には正義と悪という分別が、本当に正義と悪なのか、見極められないことがある。

なんでか。

たとえば、上司や部下という関係の中で、実際には、後輩が嫌いなので、あるいはむかつく野郎だったので、仕事量を増やす、という行為が、相手のことをおもいやって仕事を増やした。という行為にすり替えられることが簡単にできるから。後輩からすれば、丸投げじゃん、という話であったり、上司からすれば、できる能力があるから、という理屈がなりたつし、実際に行われる。そして、人の評価というものは、実際のスキルではなく、そういう差別によって行われることが、人間の社会では当然のように繰り返される。豊になればなるほど、あるいは貧困に関係なく、知識を得た人間が。

 

人間の主たる能力、学ぶというのは、教えられたことを実行するものは、要するにものをまねる、ということだけれども、まねるということは、誤差を生む。

正確に伝わらない可能性が常に付きまとう。

逆にまねることを問題視することだってあることであるし、別問題というふうに言ってしまうこともできるけれども。。。

 

最近は、「とある正義」というものが、結局、「誰かの都合」ということで説明ができてしまうのではないかという思いに支配されてしまうことがある。

 

そしていろんなものに冷める。

 

全く話が変わるように思えるかもしれないけれど、「あおる」という行為は、そういう誤解の結果の行為なんじゃないか?とか、

車にのっていて、

前の車が遅いので、あおる。

ムリな割込みだと感じたので、あおる。

いきなり前を通り過ぎて、びっくりしたので、あおる。

いきなりとまったので、あおる。

いろんなあおりがあるけれど、やってることは脅迫。

俺に対して、むかつくことをしてんじゃねー、みたいな脅迫。

自分に対して、悪を行ったのだから、自分に正義がある、相手は罰しなければならない。

危険な感情ですね。「あおり」というのは、復讐なんですよね。

 

実際には、前の車は、さらに前の車が速度を落としたので、あるいは信号が単純に赤になったから、速度を落としたのかもしれないし、そもそも車線の合流で、後ろの車が前との車間距離を取っていないのかもしれない、

道が狭く、前に出ないと確認ができないような交差点で、少しずつ前に出てたのを、驚いた側が見落としていたのかもしれない、

などなど。別に前の車に、あなたへの害意があるわけではないことがほとんどだとも思うけれども、まれに後ろに害意をもつという器用な奴もいたり。

ものまね、というか、似た感情の比較というか、タイパを意識するあまり、遅いことに腹をたてる。

車に乗るという豊かな行為が、あらたな傲慢を招く、そんないやな理論を導き出さないでほしい。

そうならないために、ルールがある。

しかしてルールにも〇〇。

 

〇〇に続く、文章を考えなさい。

どうしてこんな終わり方?

仕事量と経済

ベーシックインカムの話です。たぶん。

少なくとも僕は、現在の人類が成しえた進化(効率化というとあまりいいイメージがないので、普通に進化と表現します。まぁ人の体が進化したわけではないですが。)は、少なくとも爺さん婆さんが年金のみで暮らせるくらいは出来てるんじゃないかな、という印象です。データなんかそろってないので、学者の方は計算してみるといいでしょう。

例えば車、軽自動車ですら、60馬力、馬60頭もの力がある。人と馬が一緒というのも微妙かもしれないですが、人ひとりが馬1頭という換算で60人分の仕事をしている。

言い換えれば、1年働けば60年分の働きになる。(正確なデータに基づくものではないので、こういう感じの試算をきちんとしたデータでやる必要はあると思います。)

2年働けば、120年の働きだ。すごい進化ですよね。

さてじゃあ59年分の働きは、どうなったのか?

それをお金として計算して、未来へ持ち越した?のが年金だとすると、過剰もいいとこくらいのものになりますが、現実には、そうなっていない。日々の生活費、税金にもお金が使われます。

そして、車そのものの生産にかかるお金も先の観点からすると、費用になりますので、それも差し引くイメージがあります。(たぶん会計の知識が邪魔をするんでしょうね。そうすると前借した資産、負債みたいな。)

で、それを差し引いた分、自分たちは、仕事量的に自由を得る。

まぁ僕が車を発明したわけではないので、偉そうに言えないですが、

なるべく簡単に説明できるようにいろいろ考えての例です。

(難しい理論としては、社会主義とかのルソーとかマルクス資本論とかいろいろ勉強したいところですが、僕が怠け者なので。)

 

さて、楽になるためにいろいろ発明したし、効率もよくしたのに、なんでこんなに働かなくてはならないのか?

結局は、お金を貯められなかったからだろう、と個人単位だとそんな理屈しか出てきませんが、そもそも義務だから安くても働いてたみたいな感じがほとんど?ではないか。

工場レベルの話では、省力化、大量生産の効率化などができた分を価格に転嫁して安さを維持したという感じのこともあるでしょう。

 

しかし、ベーシックインカムの導入の根拠として、年金の代わりに、人類の築いてきた資産を人類に平等に分かち合う根拠として、我々の成してきた仕事で稼いだ時間とお金として、発行(国債の発行とかでもいいかもね。)、消滅するような仕組みのお金にすると、現在で60歳以上(これはいつか計算できるようになると思う。)はベーシックインカム暮らし、という感じの社会は出来ると思う。

引退した分、若いものに仕事がやってくる=雇用が回復、老人が観光地にお金を落とす経済効果もある、年金は破綻する、という形にもっていけるのでは?

 

以下いろんな雑文。

年金の不平等はあるべき、と思う人がいると思いますが、要は、お金を収めてないのに、何楽をしてるんだ、というのはありますよね。

さらには、働いてないからだろと。

それはそうでありますが、そうではないです。

そもそもは、働いてもお金が稼げてなければ、年金が払えません。職業選択の自由がうたわれている法律ではありますが、実際は自由ではないですよね、自由で選んだ職業も稼げなくて辞めざるを得ない現実もある。そもそも仕事がない、始めるにもお金がかかる。

要は、つきつめれば、貧困原因になり、社会情勢で簡単に不平等になるシステムであるということです。

普通に自分の親、まぁいい親、または、いい先輩、いい師、先達が楽してほしい、普通に思いますよね。

逆に悪い親、先輩には苦労してほしいと思いますが。。。

しかして、これらは、考えるべきではない事項で、あくまで、人類、というくくりで考えるレベルなイメージでいます。

 

現在のシステムにおいて、貧困差ができる要因の多くは、オヤガチャです。そして、次の世代、とか若者の未来、とか実際に大切なものをその影響下に置いてしまうのは、一人の親としては、看過できない問題ですね。

まぁ残酷な子供もいるとは思いますが。

とはいえ、よりよい未来を築いていくには、ということを考えた場合に、現状の社会福祉は、若者の負担でしかないことは顕著にみて取れますよね。

小さいところを見れば、人ひとりの面倒をみることを考えれば、面倒を見る側は、ひとりの倍の面倒をみるのだから、時給の設定は、倍の金額になるべき、というようなことも考えたり。

介護施設はいいが、実際に介護の施設が回るには、お金が全く足りない、というのもあります。

人のために働いてるのに、こんな仕打ちなの?とか。

お金の発行の根拠。

市場、あいたい取引で価格を決めるのでは、科学的な根拠としてはなんかあいまいに過ぎるので、人を考えるときに、残酷かもしれないのですが、人に値段をつけるのは、仕事量を計算するのに必要だし、人の運動量てきなものを根拠にすれば、人工の増減にも対応するのでは?とか思っています。

今の市場が破綻する、というのは実際破綻するだろうな、とか思いますが、現状なにも試作もないので、そうなる、ということで。

では学業がそのまま、お金に直結するベーシックインカムはどうだろうとか。

要するに、学業の点数にお金を払う(発行する)、高校を卒業するころには、現在なら1000万ぐらい?

いきなり受け取れる、というのではなく、成績がいいのであれば、満額、原点方式を採用するのもいいけれど、年金の代わりにこの金額を受け取れる、という感じでもいいのでは?

これはこれで、年金の代わりにできそうな政策とかにできそうですよね。

 

学業を義務とするならば、あってもいいような気がします。

勉強のモチベーションアップになりますし、親も苦労しなくていい。

 

子供の学費の分、別のことを考えられますね。

 

まぁ、運転していない(してる時も?)時に、こんなことを考えてましたw