松井さんのブログ(かり)

なんか意味なしゲーム作成ブログになってる

頭のいいということといろんなことについていろいろ考えること(もうこの時点で頭が悪い)

まず僕は人類は平等であるということに重きを置いている人間なので、いろいろなことがそのように傾いた意見を持って生きている人間です。偏見なんですが。

 

いきなりテーマと違う。とはいえ、人間すぐに、いってることちゃうやん、と思うことが多いと思うので、あらかじめご了承ください。そしてあなたの思ってる問題が解決することもない。たぶん。そんな文章です。

根底にひとつには、頭がいいのに、なんで自殺しちゃうの?という日本人の傾向をもっと前向きに変えたい。要は自殺者を減らしたい、ということがあります。身近な人が亡くなるのは悲しいことです。とはいえどうしようもないことはあります。あたりまえですが。そしてあらゆる差別も不要と思っています。50年弱生きてきたけれど、いろいろな面で人を貶めるのはいやです。そんな嘘を厚顔無恥で通していきたいと思っています。

 

ひとつ。知識の量とお金の量は比例するか、データを取ればいいと思う、とか僕は思ってしまう。

そもそも頭がいいとはどういうことか。

頭がいいのにお金に結びつかないのはどうしてか。

頭がいい人の行動とか、頭がいいと思う瞬間とか。

 

さて僕は偏差値平均としては60代後半、一部は70を超えたりしたことがあるが、実際の僕は、考えなしの脳筋野郎です。要は、自分でも馬鹿だと思うし、馬鹿にされることも多い。実際に考えなしの行動も多い。どうしてか。

 

頭がいいということについて、疑問が出てくる。僕は頭が悪いじゃんか。

 

お金について、僕はお金をもっていない。僕自身頭がいいので、大抵のことができてしまい、お金を払ってサービスとして提供してもらう必要がない、といえないこともないけれど、基本的には、お金を稼げないということもある。

お金が必要、ということは、物を流通させることなので、自分でできることを自分でする、ということは、お金の需要がなくなる、なくなっていくことを意味するので、お金がなくても当然という言い方もできるけれど、お金があったところで、もっといろいろなことができるとも言えるから、自分の考え、あるいは行動が貧乏人なんだ、志が低い、ともいえる。長い。

実際、とてつもなく冷たいことを述べると、僕の方が料理がうまいので、カミさん料理しなくていいよ、といえなくもない状況になってしまった。家庭崩壊?とりあえず、僕の嫁さんも馬鹿なので、美味しい料理が食べられる、私の旦那料理がうまいんですよ、と自慢できるというポジティブ解釈によって?崩壊は免れている?実際は進んでいるのかもしれない。息子は嫁さんの料理食べなくなってきてしまっているし。。。

あれ?そうすると頭のいい、悪いというのは、ただの比較?ということもできる。実際、数値に置き換えているではないですか?僕の偏差値が高かったという数値、実際学生のころの最終的には低かった数値。低くした数値。

飲み込みが早いといえるけれど、さて料理を生業としている方と比較すると当たり前だが、まだまだ。猫の手もできないし、人数分のレシピとか計算できない。

何が言いたいか、というと料理人の方をあたまのいいひと、天才としたときに、僕はあくまで普通だし、頭がいいと感じるタイミングがここに潜んでいる。要するに嫁さんは僕を頭がいいと勘違いしているわけだ。そして、僕自身料理ができるとはいえない、と思っている瞬間も。

僕自身酷いと思うけれど、典型的な馬鹿(ではないんだけれども)が僕の隣にいた。これは、典型だろうか、天啓だろう。要するに男尊女卑ともいえてしまうこの状況は、先天的か後天的か、男が女に対してマウントをとれた状態が頭がいい悪いということに関連づいてしまっている。

そして僕は結婚以前に、彼女のことを「しょーもないな。」と思って結構面倒を見ていたので、頭が悪いと感じるヒントが彼女自身にあった。天啓。

僕は料理をいくつか動画を見て覚えた。。。だけではないけれど、同じ動画を見て、彼女は美味しい料理ができない。

なぜできなかったか。結論はいきなりでないけれど、ひとつには目が悪い。なんというか、料理をしている動画を見ている上で、かなりポイントを見逃している。人間は基本嘘つき?であって、これはプロでも同じで、いっていることとやっていることを両方みないとほんとのことはわからない。

例えば中華、中華は火力だ。とはよくいうけれど、確かにそうかもしれないけれど、実際は、ここは水分の調整だと僕は思う。

なぜなら、強い火力がなくても、美味しい炒飯はつくれる、作れた。

チャーハンをいためる火力の代わり、レンジ。要するにレンジでちんして水分を飛ばしておくと、炒飯は美味しくなる。とはいえこれは完全ではなく、後の工程次第で、簡単に不味くなるので、注意が必要だけれども。

話が料理にいってしまい、なんで彼女が料理を再現できないのか、ということからずれてしまったけれど、要はその動画で、りょうりにんのいっている、油少々、塩胡椒少々。という分量を勘違いしているということだ。あるいは見えていないということだった。(あれ火力うんぬんは?)

要は、ひとつのものごとから得られる情報量が目が悪ければ少なくなる。いこーる、得られる情報量が少ないから頭が悪く見えてしまう。

一概にいえることではないけれども、頭のいい悪いに関連づけてしまう一つの例だ。

ちなみに逆に、同じシチュエーションでも、僕のことが頭が悪いと感じる場合もある。嫁さんがオレオレな人間だった場合、僕は嫁さんに、たくさんのポイントとかタイミングを伝えられなくておどおどしてしまったりするわけだが、そうすると、オレオレな人間は、こいつ頭悪いな、と思うわけだ。実際は、思われる方の方が頭の回転が早いのだけれども、頭の回転が早すぎて、最適解を含むいろいろなパターンを想定してしまい、結論を簡単にいえなくなってしまい、単純なことしか考えられない人からすると頭が悪く見えてしまう、感じてしまうパターン。これが天才自殺パターン。

なので、上司の方、後輩の人間で要領の悪い人がいても、簡単にこいつ頭が悪いな、と決めつけない方がいいですよ。

まぁ実際に頭の悪い人かもしれないけれど。

そしてそもそも先輩後輩でマウントをとることが差別なので、こういう状態でも、普通にフォーローしてあげましょう。

仕事というのは、いきなりパーフェクトはなくて、積み上げて合計100点、そう教えるし、実際そうじゃないですか。

とはいえいきなり100をもとめるのがビジネスの実際?では多い。それはTPOだよ。とかいっちゃう。

さて、できない子ほどかわいい、という形で接するも、いつまでもできないとイライラする。勝手だなぁ。

という感じで、まったく何の話かわからなくなってしまうのが僕の思考の悪いところ。

1から10を産む、と表現すると、カッコよく感じるけれど。

考えすぎ、と表現すると、ネガティブになる。

つまり、次の話題にいっているのだけれど。。。

ようは、表現の仕方で、頭のいい悪いも変わってしまう、という話もあるのでは?ということ?

それもありようにも思える。

同じシチュエーションでも、頭のいい悪いは両方に適用できることが先の話で証明?された。

矛盾が普通にひとの頭の中では、平等に成立する。なんのこっちゃ?

このあたりで僕の脳みそはぱつんぱつんなので、そろそろタイピングをやめたいのだけれども、全然書き切った感がない。

そしていつも僕はそんなやりきれない気持ちに支配されつつ、やめちゃう。

つづきはまた今度。